錦織圭とソニー(後編)

(前編より続く)

05年春、「日経ビズテック」というムックにおいて、「勝手に考えるソニー再生計画」と題する特集が組まれたことがある。当時、やはりソニーは既に業績不振に陥っていた。最大の理由は今と同じ、ヒット商品の不在に伴う主力のエレクトロニクス部門の低迷である。
同年6月には、出井伸之氏と安藤国威氏の後任として、ハワード・ストリンガー氏と中鉢良治氏がそれぞれ会長兼CEO(最高経営責任者)と社長に就任し、経営陣の刷新によって不振からの脱却を目指した。
当時の光景は、ストリンガー氏の後継として副社長の平井一夫氏が社長兼CEOに就任する今回のトップ交代劇と重なって見える。
特集では、国内外の経営トップ経験者や経営学者ら計7人に、ソニーを再生するにはどうしたらいいか、独自の考えに基づく私論が語られていた。中でも印象に残っているのが、『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)の著者として知られるクレイトン・クリステンセン・米ハーバード大学経営大学院教授がインタビューで語った内容だ。
クリステンセン教授は、イノベーションのジレンマなど一連の著作で、新たな成長市場を創造して既存の企業を破滅に追い込む「破壊的技術」の存在を指摘し、一躍、その名が世界的に知れ渡ったイノベーション研究の第一人者である。
同教授はインタビューの冒頭で、ソニーは小型トランジスタラジオやウォークマンなど12の破壊的技術を世の中に送り出したが、1982年を最後に破壊的技術に基づく製品を出せなくなったと指摘。その後にソニーが発売したパソコンの「VAIO」やゲーム機の「プレイステーション」などは、既存の市場に後発で参入して先発品を改良したにすぎず、破壊的技術によって新しい市場を創造したとはいえないと続けた。
さらに教授は、ソニーで破壊的技術が途絶えてしまった原因として、
(1)80年代初めに創業者の盛田昭夫氏が経営の最前線から身を引き、人々の行動を観察しながら、潜在的な欲求を探り出そうとする姿勢が失われた
(2)その後、マーケティング部門に経営学修士(MBA)の所有者を雇い入れ、市場分析を重視するようになった
──の2点を挙げた。

そしてソニーが再生を目指して取るべき戦略のモデルとして示したのが、パソコンの中核部品であるCPU(中央演算処理装置)で世界シェア首位に立つ米半導体大手インテルだった。ソニーには、デジタルカメラの基幹部品であるCCD(電荷結合素子)など他の追随を許さない技術や部品がある。それを生かしてインテルのようになれ、と主張したのである。
クリステンセン教授の示した処方箋が正解かどうかは別として、インテルのようになるにしても、一般消費者向けのエレクトロニクス製品の製造・販売を続けて再浮上を目指すにしても、欠かせないものがある。成功すれば他社にはない製品を生み出すことにつながる技術の開発に投資し続けることだ。
このようにリスクを恐れずに積極的に独創的な技術の開発に投資する姿勢は、ソニーの「原点」だったはずだ。にもかかわらず、同社はここ10年、そのことを見失ってはいなかっただろうか。
成功するかどうか分からないというリスクをあえて取り、「原石」に投資する。錦織選手の成功は、この基本の重要性を改めて教えてくれる。そうした姿勢を取り戻すことが、ソニー再生の大きな一歩にもなるだろう。