錦織圭とソニー(前編)

ソニーと錦織圭──。
前者は、4期連続の最終赤字に陥るという苦境の最中にある下降株、一方で後者は、この1月に行われたテニス4大大会の1つ、全豪オープンで日本人プロテニスプレーヤーとしては初めてベスト8に進出した上昇株である。明暗がくっきりと分かれている両者の間に、実は浅からぬ縁がある。

ソニーは、錦織選手がプロデビューした翌年の08年4月から昨年11月まで所属契約を結び、プロ活動を支援してきた。家電量販店などでソニー製の液晶テレビ「ブラビア」の画面に、錦織選手がサーブを打つフォームの映像が映し出されているのを見たことがある人もいるかもしれない。それも、所属契約がもたらした産物の1つなのだろう。
もっとも、縁は所属契約だけにとどまらない。錦織選手が日本から世界へと羽ばたくチャンスを与えたのも、また「ソニー」だった。
盛田正明氏。その名から察しがつくように、ソニーを井深大氏とともに創業した盛田昭夫氏の実弟である。51年に東京工業大学を卒業してソニー(当時は東京通信工業)に入社。同社の常務、専務、副社長を歴任し、92年から94年にかけてソニー生命保険の会長も務めた。
正明氏はソニーグループから引退した後、00年に日本テニス協会の会長に就任(現在は名誉会長)。日本テニスの発展に力を尽くしてきた。その一環として、私財を投じて03年に設立したのが、「盛田正明テニス・ファンド」である。
世界に通用する選手を育成することを目的とした基金で、有望なジュニア選手を選考して、米ニック・ボロテリー・テニス・アカデミー(フロリダ州)に留学させる。4大大会のすべてで優勝した経験を持つアンドレ・アガシ氏ら数多くのトッププロを輩出してきた名門だ。錦織選手もこの基金の支援を得て13歳で渡米し、同アカデミーの門をたたく。そして世界のトップへの第一歩を踏み出した。

競争が厳しく脱落者も後を絶たないプロ養成学校のアカデミーで頭角を現し、06年には全豪と同じ4大大会の1つ、全仏オープンの男子ジュニアダブルスで優勝するなど、ジュニアの世界的な大会で成績を残す。
07年10月にプロに転向。ソニーと所属契約を結んだ直後の08年の全米オープンで当時世界ランキング4位の選手を破ってベスト16入りし、日本だけでなく海外でも若手のホープの1人として注目を集めるようになった。
その後は相次ぐケガの影響で戦績は伸び悩んでいたが、昨年後半から再び上昇し始める。
まず、トップ選手が集うプロツアーの主要大会(マスターズシリーズ)の1つである昨年10月の上海マスターズで、トップ10選手の1人を破って準決勝まで進出する。
続くスイス室内では、準決勝で今年の全豪を制した世界ランキング1位、ノバク・ジョコビッチ選手(セルビア)に勝つ大金星を挙げ、決勝では元世界1位で現在は同3位のロジャー・フェデラー選手(スイス)に敗れたものの準優勝した。
そして迎えた今年1月の全豪。4回戦で世界6位のジョー・ウィルフライ・ツォンガ選手(フランス)をフルセットの末に破り、ベスト8に進出する快挙を成し遂げた。
その結果、世界ランキングも20位まで上昇し、トップ10入りも視野に入ってきた。そんな錦織選手も、盛田正明氏のファンドの支援を受けて渡米するまでは、01年に全国小学生テニス選手権で優勝していたものの、モノになるかどうか分からない「原石」の1人にすぎなかった。

しかし、正明氏の基金はそうしたリスクを省みずに投資した。そのことに錦織選手も大きな恩義を感じている。だからこそ、プロ転向直後にソニーと所属契約を結んだ。その発表記者会見では、「(基金の)支援がなければ自分はいない」とも語っている。
一方、73年に取締役に就任して以来、正明氏が経営陣の1人として約20年にわたって舵取りに携わったソニー。トランジスタラジオや世界初の家庭用VTR、そして携帯型音楽プレーヤーの代名詞ともなった「ウォークマン」などのヒット製品を次々と世に送り出した。しかし残念ながら、その昔日の面影を今のソニーに見いだすことはできない。
代わりに目に映るのは、パナソニックやシャープなど国内の競合メーカーと同様に、底が見えないテレビの価格下落に翻弄されて赤字を計上し続ける、変わり果てた姿である。
00年にゲーム機の「プレイステーション2」を発売した後、「スパイダーマン」シリーズなど米ハリウッド製の映画や音楽でヒットを飛ばしたことはあっても、「メード・イン・ジャパン」のハードではヒットが全くと言っていいほど出ていない。この10年間にソニーが直接・間接に投資した日本製の最大ヒット作は、錦織選手と言っても過言ではないだろう。

(後編へ続く)